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  1986年よりドイツの日本人ガイド、1992年より旅行のリムジン・ハイヤーの日本人ドライバーガイドとして   

  ドイツ全国、スイス、オーストリア、チェコ、ベルギー、オランダ、フランス、イタリア、ハンガリーなどを専用車での      

  個人旅行案内の合間を縫って撮ったヨーロッパ各地の見どころをスライドショーとしてご紹介します。

 

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ポツダム、サン・スーシー宮殿

ポツダムはドイツの首都の隣町にあたり、その見所は何と言っても、18世紀の後半にプロイセン王であり、
「哲学王」と呼ばれたフリードリッヒ大王が、政治から全く離れ、プライベートのお客様を迎えておもてなしをした
無憂宮と呼ばれたサン・スーシー宮殿とその庭園、第二次世界大戦直後に、戦後のヨーロッパ、特にドイツの処置と
日本政府に対する無条件降伏の宣言を要求したソ連のスターリン、イギリスのチャーチル首相、そしてアメリカの
トルーマン大統領の3人が集まって、いわゆるポツダム会議が開催されたツェツィーリエンホーフでしょう。

この町は小さな町でしたが、1660年にブランデンブルクブルク選帝侯のフリードリッヒ・ヴィルヘルムの
狩猟館が置かれた後に多くのフランスのユグノー派の人たちをはじめとする多くの外国人が移住し、発展し始めました。

哲学王のフリードリッヒ大王が建てたロココ形式のサン・スーシー(無憂宮)宮殿は、1745年から47年まで建てられ、
この宮殿には政治とは全く関係のない人たち、フランスのヴォルテール、作曲家のJ・S・バッハなどが招かれ、会話は
フランス語で行われました。

宮殿の横には、みすぼらしいとも言える非常に簡素な大王の墓が置かれていますが、これは、「自分がかわいがっていた
11頭の犬の墓のそばに葬って欲しい」、と言う大王の遺言によるものです。

戦後まもなく、彼の棺は西ドイツのヘッヒンゲンに移されたのですが、ドイツ統一後はこの場所に戻されました。
誰の手によるものかは不明ですが、墓石の上には彼が普及させたジャガイモがいつも置かれています。

時間のある方は、宮殿の前の階段を下りて噴水のそばまで、そして中国風の茶室まで足を伸ばすのもよろしいでしょう。

もうひとつ、ここから大規模な新宮殿に行くことも可能ですが、日本人のツアーの方はほとんど訪れることはありません。
が、時間が十分にあり、健脚の方はここを訪問するのもよろしいでしょう。
日本人ガイド暦が長い私自身も、この新宮殿をご案内したことはありませんし、プライベートで訪れたのは1度だけ
にすぎません。


potsdamsansouci - slideshow
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