チェコ
チェコは、現在では中欧諸国に属し、ベルリンの壁が開いた後、スロバキアから分離してできた国になります。
日本の4分の1の面積、約1040万人の人口を抱える国ですが、非常に数奇な運命をたどった国、と言っても
いいかも知れません。
最初にケルト人、そしてゲルマン人、6世紀ごろにスラブ民族が定着し、これがチェコ人の祖先となります。
9世紀に大モラビア王国、10世紀にボヘミア王国を建設したのですが、11世紀にドイツ人の植民が始まり、
13世紀にはドイツ民族の神聖ローマ帝国の選帝侯に選ばれます。
特に、カール4世は、神聖ローマ帝国の皇帝に選出され、ボヘミアは全盛期を迎えます。
この時、1348年にドイツで最初の大学が成立され、観光客でにぎわうカレル橋も建設されました。
その後、周辺諸国、特に16世紀後半にはハプスブルク家のオーストリアの支配を受けることになり、
1618~48年の30年戦争後は完全にオーストリアの属領となり、この支配が第1次世界大戦終了後の、
チェコスロバキア建国まで続けられます。
ナチスドイツの時代には完全にドイツに併合され、戦後はソ連圏に属していたのですが、1968年には、
ドプチェク書記長による、「人間の顔をした社会主義」、という方針の下に自由化を進めたのですが、当時の
ソ連のブレジネフ書記長の逆鱗に触れ、ワルシャワ条約軍が介入して、その目を断ち切ったのは記憶に新しい
事件でした。
1989年にベルリンの壁が開いた後、チェコでもその波に乗り、「ビロード革命」、と呼ばれる自由化により、
1993年にはスロバキアと分離、現在に至っています。
このように、隣国との力関係や戦争などによって、国が割譲、併合を繰り返すことになるのは、覇権争いが絶えなかった
ヨーロッパではごく自然なことであったかもしれません。
第2次世界大戦で、ほとんど繊細を受けなかったこの国には多くの見所があり、現在では、首都のプラハをはじめ、
チェスキー・クルムロフ、カルロヴィ・ヴァリ、テルチなどの観光地は、世界中からの観光客を惹き付けています。