ドイツ|個人旅行|世界遺産|ヴュルツブルク|リムジンサービス|専用車<br>

     

  1992年よりドイツ個人旅行のリムジンサービスハイヤーの日本人ドライバーガイドとして、ドイツ全国、   

  スイス、オーストリア、チェコ、ベルギー、オランダ、フランス、イタリア、ハンガリーなどを専用車での      

  個人旅行案内の合間を縫って撮ったヨーロッパ各地の見どころをスライドショーとしてご紹介します。

 

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ビュルツブルク

ロマンチック街道の出発点であり、終着点であるビュルツブルクは、人口約13万人の
ドイツでは中の中規模の町になります。

紀元前千年ごろ、この町の高台にあるマリエンブルクの要塞がある場所にケルト人の
避難場所があったと言われていますが、西暦689年にアイルランド人の聖キリアンが、
この地に布教活動に足を踏み入れてから、この町はキリスト教の町と発展していきました。

興味深いのは、1127年にドイツで初めてこの町で槍試合が行われたとのこと。

また、赤ひげ王として知られるフリードリッヒ・バルバロッサは、ブルゴーニュ伯の娘
ベアトリクスとここで結婚式を挙げました。この結婚式の模様は、宮殿の皇帝の間の壁画に
描かれています。

1525年のドイツ農民戦争では、山頂のマリエンベルク要塞をめぐって激戦が展開され、
農民側の敗北に終わるのですが、当時の市長で彫刻家であったティルマン・リーメンシュナイダーは
農民を支持したために捕縛され、厳罰に処されたと言われています。

大僧正の居住したレジデンスは1979年に完成し、特に600平方メートルにわたる世界最大の
ジョヴァンニ・バチスタ・ティアポロのによる世界最大の天井画は、1945年3月における
連合軍の大爆撃にも損傷を免れ、その姿を今に残しています。

日本にも縁のあ、る幕末時代にオランダ商館の医師であったシーボルトはこの町の出身であり、
レントゲンは1895年にこの町でX-線を発見しました。

第2次世界大戦が終了する直前の1945年3月荷、連合軍による大空襲を受け、「マインの墓場」、
とも呼ばれたのですが、見事と言えるほどに再建され、多くの人たちを惹きつけています。

ぜひとも訪れて頂きたいのは、マリエンブルクの要塞からの町の遠景とレジデンスの天井画と庭園、
そして大聖堂をはじめとする旧市街です。

ドイツを個人旅行なさる私のお客様には、これらの見所を時間の無駄のない様に観光していただけるよう、
心がけています。



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